イルカの人工尾びれプロジェクト 

 

2003年-2006年、(株)ブリヂストンと共にイルカの人工尾びれ制作プロジェクトに参加しました。参加するきっかけとなったのは、イルカの彫刻展をたまたま見にいらしていたイルカの研究者の方。その方が、美ら海水族館のイルカの獣医師の先生と知り合いで、そこからの縁です。プロジェクトは3年かけて、病気で尾びれの75%を失った沖縄美ら海水族館のバンドウイルカ・フジのために、世界で初めてイルカの人工尾びれ(YBECC/ワイベック)が完成しました。「YBECC(ワイベック)」という名前は、制作者の頭文字をとって付けられています。「Y」は「薬師寺」、「B」は「ブリヂストン」、「E」は「ブリヂストンエンジニアリング」、「C」は「ブリヂストンのサイクル」、「C」は美ら海水族館です。

 



“カタチの意味と美しさ” 

 

美ら海水族館の獣医師から相談を受け、人工尾びれ制作に携わることとなりました。彫刻家として追求すべきたど感じたことは、イルカの尾びれが持つ“カタチの意味と美しさ”でした。

 

 

“フジと子供たち” 

 

イルカの尾びれが持つ“カタチの意味と美しさ”に注目した私は、75%を失い、小さくなってしまったフジの尾びれを何度も観察しました。フジのプールで泳ぐ許可を頂いていたので、プールにもぐり、観たり触れたりしました。さらに、フジの子供たち、コニーとチャオとリュウの尾びれも同じように観察をしました。彫刻家である私は、対象を観察し、手で触れ、カタチを創ることは得意分野です。その結果、尾びれに"家系特有のカーブがある”ことがわかりました。

 

 


このことは、もともとのフジの尾びれに近い人工尾びれを制作するにはとても重要なことでした。そして、フジにぴったりの人工尾びれを創ることができました。

そして、もう一つ、フジをプールで観察する中で気づいたことがありました。それは、フジが尾びれを失っても、生きる希望を持てた理由。フジの子供たちの存在です。

私が初めてフジに会った時、フジはとても元気がありませんでした。生きる希望を失っているほどに見えました。

そんなフジを観察していると、フジのそばには、いつも「がんばって、がんばって!」 とでも言っているかのように、フジを元気づけるフジの娘・コニーがいました。

そして、コニーの存在が、フジの心を支えているように見えました。コニーがいなければ、フジは人工尾びれの完成を待てたかどうかわかりません。

イルカの人工尾びれについては、人々が1頭のイルカを救うために力を合わせたストーリーとして、多くのメディアで報じられました。でもその影で、フジの子供たちが

大きな力を発揮していたこと、イルカの親子愛というもう一つのストーリーがあったことは、あまり知られていないかもしれません。

フジと子供たちが、尾びれ完成までに、本当によく頑張ったこと、イルカと人間、両者の頑張りがあったからこそ、人工尾びれが完成したのだと思っています。

フジ、そして彼女の子供たちの姿は今も心に深く刻まれています。感謝せずにいられません。